離婚相談ブログ

住宅ローンは単なる借金なのか

2019.04.15更新

離婚する際には、夫婦の共有財産は財産分与されます。

共有財産とは、婚姻期間中に築いた財産のことです。

名義がどちらかは問いません。

不動産、預貯金、生命保険など、何でも原則2分の1です。

 

一方で、借金は財産分与の対象には原則なりません。

借金も2分の1、というわけには行かないのです。

 

唯一と言ってよい例外が住宅ローンです。

住宅ローンのついた不動産の価値を計算する際には、現在価値からローン残高を引いた価格が財産分与の対象です。

不動産を売却した場合には、売却益からまず住宅ローン残額が返済されることになるので、これは当然の扱いです。

 

不動産の現在価値がローン残高を上回る、つまりアンダーローンの場合は特に問題ありません。

残った現金を2分の1ずつにすれば良いだけです。

 

問題は、オーバーローンの場合です。

不動産を売却しても、マイナスが残ることになります。

マイナス分を上回る預貯金などがあれば、相殺は可能です。

そうでない場合には、ローンの残額だけが手許に残ることになります。

 

そもそも、住宅ローンを組んでまで不動産を購入するのは、婚姻生活を続けるためのはずです。

なのに、婚姻生活が破綻した結果として、手元に借金だけが残る。

しかも、100%自分が返済しないといけない。

 

これはやはり不公平に思えます。

もちろん、住宅ローンには銀行などの債権者という第三者がいるため、当事者だけでは決められません。

しかし、少なくとも当事者の間では、原則として2分の1ずつ負担するのが公平にかなうのではないでしょうか。

弁護士の受任通知が届いたら

2019.04.12更新

家を出て行った配偶者の代理人弁護士から、「受任通知」と題した書面が届いた。

その書面には、「窓口は当職となりますので、本人に連絡しないでください」と書いてあった。

ある日、家に帰ったら、配偶者と子がおらず、テーブルの上に「連絡は弁護士にしてください」という置き手紙があった。

 

このような場合、本当に連絡は弁護士を通す必要があるのでしょうか。

本人に直接連絡を取ったら駄目なのでしょうか。

 

弁護士という立場上言いづらいのですが、「連絡は弁護士を通してください」というのはあくまで「お願い」です。

法的拘束力はありません。

これが借金の取り立てなら、弁護士を通さず本人から取り立てるのは違反です。

貸金業者の決まりがあるからです。

しかし、離婚にはそういう取り決めはありません。

なので、あくまで「お願い」です。

 

現実的には、代理人を通してほしいと言っている以上、代理人に連絡すべきです。

代理人がついているのに、本人にも連絡しても混乱するだけです。

強硬に本人に連絡することが、後で不利に働く可能性も否定できません。

 

ただ、離婚というのはあくまで当人同士の合意に基づくのが一番です。

弁護士を窓口とするのも、あくまで「その方が合意形成に役立つから」のはずです。

当人同士では解決できないことも、代理人を介せば冷静に話し合える。

それが代理人を入れる第一の目的のはずです。

 

代理人をつけるのは、たとえば借金の取り立ての場合のように、相手を遮断する、拒絶することが目的ではありません。

なので、きちんと話し合いが行えるのであれば、当事者同士の連絡はむしろ取ってくれる方が望ましいはずです。

当人同士が連絡を取れる状態に持っていくのが望ましい、という意識は忘れないようにしています。

 

婚姻費用はどこまでさかのぼって払う必要があるのか

2019.04.09更新

民法第760条

「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生じる費用を分担する。」

 

これが、いわゆる婚姻費用支払義務の根拠となる条文です。

 

夫婦には婚姻から生じる費用を分担する義務がある。

収入が多い方は、少ない方の費用を分担しなければいけない。

別居して家計が別れた場合、相手に費用を払わなければいけない。

ということで、多くの場合、出ていった側から、残された側に対し請求されるのがいわゆる「婚姻費用」です。

 

婚姻費用は、理屈では、別居したらすぐ請求できます。

ということは、別居から数か月分経ってから、数か月分の婚姻費用を一気に請求することはできるのでしょうか。

 

これについては、最高裁が

「家庭裁判所は過去に遡って分担額を形成決定できる。」

という決定を出していますので、過去分も請求できることになります。

 

ただし、別居開始からすぐ、ではありません。

婚姻費用分担請求の調停を申立てた時点から、です。

一方的に出ていった相手に、その時点から婚姻費用を支払え、では支払う側にとってあまりに酷だからです。

 

ただ、最近は、その点も見越し、別居と同時に婚姻費用分担調停を申し立てる、というパターンも増えてきました。

そこまで用意周到になってくると、ちょっと制度趣旨を逸脱してきているようにも思えます。

 

別居しても夫婦は夫婦だから婚姻費用分担義務を負う。

それは構いません。

また、さかのぼって請求できないと、逃げ得を許すことになるので、それも仕方ない。

 

ただ一方で、財産分与の基準時は婚姻破綻時です。

そして、婚姻破綻時というのは多くの場合、別居時です。

婚姻破綻しているのに、婚姻費用分担義務は残る、というのは少し納得しにくいです。

 

また、逃げ得を許さないというなら、別居しておいて離婚せず婚姻費用をもらい続ける、という意味での「逃げ得」が許されるのも釈然としません。

婚姻費用分担請求が認められるのは、もう少し限定的な場合に限られるべきではないか、というのが私の意見です。

 

 

養育費を払うのは何歳まで?

2019.04.04更新

民法改正により、2022年4月1日から成人年齢が18歳となります。

養育費にはどう影響するのでしょうか?

 

法務省の説明によれば以下のとおりです。

「子が成人に達するまで」と定められた場合は、これまでの「20歳まで」から「18歳まで」となる。

これまでに合意済みであれば、合意時点では「成人」といえば「20歳」だったのだから、従来どおり20歳まで。

そもそも、養育費は「未成年だから」ではなく「経済的に自立していないから」払うものだから、直接の影響は受けない。

 

形式的にはその通りだと思います。

成人年齢が変わっても、18歳といえばようやく大学に入る年齢です。

経済的に自立していないのは変わりません。

 

ただ、疑問もあります。

成人に達するということは、親権に服さなくなるということです。

1人で有効な契約も可能です。

 

一方、養育費はあくまで子の親権者・監護者に払われます。

自立した成人にかかる費用について、別の成人に支払う。

だったら、はじめから本人に払えば良いのではないでしょうか。

そもそも、子が18歳を過ぎたら同居親だって親権者ではないのです。

 

大学進学にあたって子が1人暮らしを始めた。

多くの場合、親は子に仕送りします。

それと同じく、18歳以降の生活費は本人である子に支払われるべきではないでしょうか。

 

子が18歳に達したら、親子といえど大人同士です。

養育費は18歳まで、あとは当事者同士の話し合いに委ねる。

それが本来の在り方ではないでしょうか。

 

長期的には、18歳以降の養育費を定めるという法的慣習は正されるべきだと私は考えています。

 

調停には絶対に出席しないといけないのか

2019.03.29更新

家事調停は、ご本人の出席が原則です。

代理人弁護士をつけようが、本人にも出席いただく必要があります。

特に事情があれば代理人のみの出席で進めることも一応認められてはいます。

しかし、第1回と、結論が出る最後の調停は、本人出席が絶対です。

 

調停は1回あたり2時間はかかります。

前後の打合せや、裁判所までの行き帰りまで考えれば、その日は一日、調停でつぶれることを覚悟しなければいけません。

 

調停のたびに、月1回、仕事を休むのは大変です。

それはよく理解できますが、現行の制度上は仕方がありません。

私としても、離婚という事態の重大さを考えれば、やむを得ないと考えています。

この点は諦めるしかないです。

 

弁護士 小杉 俊介

「性格の不一致」は離婚の理由になるか

2019.03.27更新

離婚したいと思う理由でアンケートをとったら、恐らく一位は「性格の不一致」になるんじゃないでしょうか。

一方で、裁判所に離婚を求めた際、一番離婚に結びつけるのが難しいのも「性格の不一致」だと思います。

 

原則として、双方の意思が合致しないと離婚はできません。

一方からの請求のみによる離婚はあくまで例外です。

一方からの請求で離婚できるのはどんな場合か。

民法770条1項に列挙されています。

 

1.配偶者に不貞な行為があったとき

2.配偶者から悪意で遺棄されたとき

3.配偶者の生死が三年以上明らかでないとき

4.配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき

5.その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき

 

これだけです。

このうち、2~4は例外中の例外で、ほぼ出てきません。

1は不貞行為、要は浮気です。

問題は、5の「婚姻を継続し難い重大な事由」に「性格の不一致」が含まれるか、です。

 

気が合う、性格が合うからこそ、生活を共にすべく結婚する。

そう考えれば、「性格の不一致」は婚姻を継続し難い重大な事由の最たるもののはずです。

では、なぜ「性格の不一致」を理由とした離婚請求は認められにくいのか。

 

結局それは、離婚する合意ができていないから、です。

離婚したいくらい性格が合わないなら、当然、相手も離婚を望むはずである。

ところが、現に離婚の合意はできていない。

相手は離婚を望んでいない。

ということは、「婚姻を継続し難い重大な事由」にあたるほど性格が合わないわけではない。

そういう理路になります。

 

でも、これはちょっとおかしいです。

人が「離婚したくない」と思う理由は別にある場合が多いからです。

具体的には、経済的な理由です。

 

離婚すると、生活が立ち行かない。

そこまで行かなくても、生活レベルは下がる。

それは当然ですし、よく分かります。

 

でも、「性格の不一致」で離婚したいと言っているのに対し、経済的な理由を持ち出しても、話がかみ合っていません。

私は、議論がかみ合わず、裁判所まで「性格の不一致」が持ち込まれる事態はなるべく減らした方が良いと思います。

具体的には、少なくとも「性格の不一致」が離婚事由に該当し得る、ということはもう少し積極的に認められるべきです。

経済面の保護は別途方策が打たれるべきです。

その方が、性格が不一致なのに離婚はできない、という不幸な事態を減らせるのではないでしょうか。

 

弁護士 小杉 俊介

「継続性の原則」なんて存在するのか

2019.03.25更新

子の親権が争いになった場合。

裁判所が考慮する要素の1つに、「継続性の原則」があると言われています。

子の監護状況はいたずらに変化しないほうが好ましい。

それまで子を監護している方が、継続して監護するのが望ましい。

そういう考え方のことです。

 

実際、調停や訴訟になる前にすでに別居している場合、子を監護していた方が親権者・監護者になることが多い。

これは事実です。

だからこそ、調停になる前に半ば一方的に子を連れて別居する、というケースが後を絶ちません。

裁判所の「継続性の原則」が子の連れ去りの原因になっている、と非難されることもあります。

 

でも、本当に裁判所は「継続性の原則」を採っているのでしょうか。

私は疑問を持っています。

結果的に、調停以前に子を監護していた方が継続して子を監護することになる。

そういう意味では、確かに裁判所の判断では「継続性」が重視されています。

しかし、それは「継続性の原則」なんてご大層なものじゃないと思うのです。

 

裁判所のいう「継続性の原則」とは、要は「裁判所には監護者を変更するだけの能力がない」ことの言い換えに過ぎないのではないでしょうか。

誰が監護者にふさわしいか調査する能力。

決定した内容を当事者に強制する能力。

何よりも、膨大な案件数をさばく人手。

裁判所には不足しているものが多すぎます。

それが、監護者決定の消極性に表れている。

「継続性の原則」とは、単なる現状追認の言い換えに過ぎないのではないでしょうか。

 

その「能力不足」の根っこまでさかのぼると、結局は明治民法以来の「法は家庭に立ち入らず」に至ります。

法は家庭に立ち入らないからこそ、実力不足が放置されている。

それを「継続性の原則」などともっともらしい言葉で言い換えてもしょうがないと思います。

 

弁護士 小杉 俊介

 

家庭裁判所の安全について

2019.03.20更新

東京地方裁判所が入口での荷物検査を始めたのは、1995年の地下鉄サリン事件の後のことでした。

地裁のすぐ裏の家庭裁判所の建物の入口での検査が始まったのはそれから随分経ってからです。

さらに、他の地方裁判所が入口検査を始めたのはほんのつい最近です。

一例を挙げると、さいたま地裁は去年でした。

もともとの建物が入口での警備を予定していなかったため、家裁の1階に行くには1回2階に上がってから廊下を渡り、また下りないといけません。

 

はじめは、なぜ東京地裁だけややこしい検査を要求されなければいけないのか、と思っていました。

でも直に、逆に、早く他の裁判所も入口検査を導入すべき、なぜしないのか、と考えを改めました。

裁判所は、ただでさえ緊張関係にある当事者が集まる場所です。

ましてや、特に東京地裁や家裁は混み合っています。

エレベーターはいつも満員ですし、家裁待合室では座り切れずに立って待つこともしばしばです。

何があってもおかしくない場所なのに、入口がフリーチェックなんてありえない。

経験を積むにつれ、そう考えが変わりました。

 

本日、東京家裁の入口前で不幸な事件が起こりました。

詳細は分かりませんので、事件自体についてはコメントできません。

入口を出たところとのことなので、裁判所として防ぎようがなかったのかもしれません。

 

ただ、特に最近の家裁の混み合いぶり、そして事務の手の回っていなさは、傍目にも限界に見えました。

さばき切れない人が殺到し、必要な対応がろくになされていないように見えました。

その中で起こったこの事件です。

私には、警備の強化はもちろんですが、それ以上に、まず、余裕をもって人をさばける態勢の整備が必要と思えてなりません。

 

今回の異常な事件を、何か自らの主張に結びつけるのには慎重であるべきです。

ただ、私は、家裁の現在の回っていなさ、その中で当事者が度を越した緊張の中に置かれていることについては、これを機にもっと周知され、対応がなされるべきだと考えています。

 

 

婚姻費用はいついかなる場合にも払わないといけないのか

2019.03.13更新

結婚している夫婦が別居した場合、収入の多い方から少ない方に婚姻費用を支払う義務が生じる。

それが基本です。

別居の理由は基本的に関係ありません。

夫婦には相互に扶養義務がある以上、別居したら婚姻費用支払義務を負う。

そういうことになっています。

 

でも、婚姻費用の支払いを納得いただくのが難しい場合も多いです。

配偶者が一方的に出ていった場合、別居を望んでいた訳でもないのになぜ婚姻費用を支払わなければいけないのか。

 

ましてや、残された方が離婚を望んでいない場合は深刻です。

ただでさえ、同居している時より、別居した場合の方が経済的負担は増えます。

世帯を2つに分けるのですから当然です。

子がいる場合、養育費よりも婚姻費用の方が高額になります。

子がいない場合には、そもそも養育費は発生しないので、離婚すれば婚姻費用などの月ごとの支払いはなくなります。

こうして、婚姻費用の存在が、望んでもいない離婚の方向に当事者を押し流していくことにもなるのです。

 

出て行った側が浮気をしていて、立場が悪くなった一方的に出ていった場合。

そのような場合に、婚姻費用の請求は権利の濫用だから認められない、という裁判所の判断がされた例はあります。

でも、これはあくまで例外です。

多くの場合、とりあえず生活に困るから、という理由で、別居の理由のいかんを問わず婚姻費用の請求は認められます。

 

でも、それで本当に良いのか、ということを最近考えています。

民法上、そもそも夫婦は同居義務を負っています。

同居を一方的に解消し、別居を開始するには、しかるべき理由がなければいけないはずです。

少なくとも、合理的な理由なく一方的に別居を開始した場合に、婚姻費用の支払請求が認められるのは不公平ではないでしょうか。

裁判所の実務を変えるのは大変ですが、本来は婚姻費用の支払いを請求する際には、別居に至る合理的な理由のある程度の立証まで要求されてしかるべきではないでしょうか。

その方がフェアですし、同じ金額を払う場合でも納得を得やすいと思うのです。

 

現在の日本の離婚にまつわる制度や裁判所の判断は、一方的に子を連れて別居する行動を正当化し過ぎており、そのことが当事者間の無用な対立を生んでいる。

婚姻費用もその要素の1つであり、変わっていくべきではないかと私は考えています。

 

弁護士 小杉 俊介

「子は母親のもの」なのか

2019.03.12更新

日本では、離婚後単独親権が原則です。

父親か母親か、どちらか片方だけが親権者となります。

「親権なんて財産の管理権だけ、離婚したって親子であることは変わらない」と言うことは簡単です。

でも、どちらかだけが親権者だけになった後も、対等の親同士であり続けるのは言うほど簡単なことではありません。

 

そして、多くの場合、母親が親権者になります。

事実としてそうです。

 

この理由として、裁判所は母性優先の原則を採用しているから、とよく言われます。

でも、多くの場合、それ以前の段階で親権者は決まっています。

当事者同士の意識として、「母親が親権者であるべき」と当然に考えているケースがほとんどなのです。

何故なのでしょうか。

 

私自身、最近まで、要は「母性」の問題であると考えてきました。

母親は本能として子を自分のものだと思う。

周囲も当然そう考える。

その結果としての「母性優先」だと。

 

でも、「母性」に答えを求めるのは間違いであると今は確信しています。

 

そもそも、離婚後単独親権という制度の出どころは「イエ制度」と「父権制」です。

結婚とは、「イエ」を形成する行為である。

「イエ」は家長たる父が統べるものである。

家に属するものは家長たる父のものである。

子もまた家に属し、家長たる父の所有物である。

単独親権という制度の根本にこのような発想があることを争いのないところだと思います。

 

「イエ制度」や「父権制」は、家の実態が失われるにつれ崩れていきます。

ところが、単独親権は制度として残ってしまった。

そこで、横滑りのように、子の所有者の地位についたのが「母」だったのではないでしょうか。

 

要は、「子は母のものである」とする発想の根本は、なんということはない、「イエ制度」であり「父権制」なのではないでしょうか。

イエのことは家長が決める。

こと子に関しては、母親が家長である。

ゆえに、子の帰属は母親が決めることである。

「子は母親のもの」となる裏には、そういう発想があると私は確信しています。

 

でも、当たり前ですが、子は誰の所有物でもありません。

子は独立した個人であり、親はあくまで監護の責任者に過ぎません。

そして、せっかく2人も親がいるのに、どちらかに監護の責任者をしぼる必要もありません。

「子は母親のもの」を前提とする発想は克服されていくべきです。

 

 

弁護士 小杉 俊介

 

男性側に立った離婚問題の解決を

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