「継続性の原則」なんて存在するのか
2019.03.25更新
子の親権が争いになった場合。
裁判所が考慮する要素の1つに、「継続性の原則」があると言われています。
子の監護状況はいたずらに変化しないほうが好ましい。
それまで子を監護している方が、継続して監護するのが望ましい。
そういう考え方のことです。
実際、調停や訴訟になる前にすでに別居している場合、子を監護していた方が親権者・監護者になることが多い。
これは事実です。
だからこそ、調停になる前に半ば一方的に子を連れて別居する、というケースが後を絶ちません。
裁判所の「継続性の原則」が子の連れ去りの原因になっている、と非難されることもあります。
でも、本当に裁判所は「継続性の原則」を採っているのでしょうか。
私は疑問を持っています。
結果的に、調停以前に子を監護していた方が継続して子を監護することになる。
そういう意味では、確かに裁判所の判断では「継続性」が重視されています。
しかし、それは「継続性の原則」なんてご大層なものじゃないと思うのです。
裁判所のいう「継続性の原則」とは、要は「裁判所には監護者を変更するだけの能力がない」ことの言い換えに過ぎないのではないでしょうか。
誰が監護者にふさわしいか調査する能力。
決定した内容を当事者に強制する能力。
何よりも、膨大な案件数をさばく人手。
裁判所には不足しているものが多すぎます。
それが、監護者決定の消極性に表れている。
「継続性の原則」とは、単なる現状追認の言い換えに過ぎないのではないでしょうか。
その「能力不足」の根っこまでさかのぼると、結局は明治民法以来の「法は家庭に立ち入らず」に至ります。
法は家庭に立ち入らないからこそ、実力不足が放置されている。
それを「継続性の原則」などともっともらしい言葉で言い換えてもしょうがないと思います。
弁護士 小杉 俊介