離婚相談ブログ

海外赴任中の離婚の落とし穴

2019.10.17更新

海外に赴任中の離婚にはいくつか障害があります。

離婚に先立って別居することの難しさ。

弁護士へのアクセスが限られること。

裁判所へ頻繁に出廷することもできません。

中でも気を付けたいのが、「収入が高くなりがち」なことです。

 

離婚成立前の婚姻費用も、離婚後の養育費も、基本的には「婚姻破綻時の収入」で決まります。

海外赴任中は、様々な手当などにより、額面上の収入が高くなる傾向にあります。

その収入を元にして婚姻費用や養育費を決めると、どうしても金額が高くなってしまいます。

 

海外赴任がずっと続けばまだ良いですが、いずれ帰国する時が来ます。

その時、高い収入で決めた月々の支払いが重くのしかかってきます。

 

海外赴任中の収入には、家族と赴任していることによって発生する手当が含まれている場合も多いです。

その場合、離婚が成立すると、当然、家族手当もなくなるので、収入の額面は下がります。

収入は下がったのに、高額の収入を元にした支払いを続けないといけない、ということもあり得ます。

 

対策としては、収入に占める手当の具体的な金額が分かる資料を事前に集めておくのは重要です。

収入の詳細な内訳が給与明細などから判明する場合は、その旨強く主張することになります。

しかし、源泉徴収票などからは収入に占める手当などの金額が判明しない場合、裁判所は機械的に額面で判断することが多いでしょう。

重々気を付けたいポイントです。

面会交流はなぜ月1回なのか?

2019.10.09更新

養育費は算定表に従う。

婚姻費用も同じく算定表に従う。

財産分与は2分の1ずつ。

 

離婚調停では、上記はほぼ不動のルールです。

例外が認められることは決して多くありません。

 

実はどれも法律に明記されているルールではありません。

算定表は裁判所の職員が作った参考のための表に過ぎません

財産分与も2分の1などとは法律のどこにも書いてありません。

 

ただ、上記ルールが定着した理由はよく分かります。

離婚で揉めるポイントを少しでも減らし、機械的に処理する。

そうすることで、当事者間で揉める余地を減らす。

そのためにはルールは明確に決まっていた方が良い。

私も、その判断は合理的だと考えています。

 

でも、同じく定着しているが、どうしても納得できないルールもあります。

面会交流の「原則月に1回」です。

 

こちらも法律に根拠はありません。

しかも、算定表のように、根拠に計算式があり、熟慮の末に作成されたものでもありません。

財産分与のように、「夫婦の共有財産=持分は2分の1ずつ」という法的な理屈もありません。

ただ、漠然と「月1回」です。

 

根拠は恐らく「何となく」です。

ただでさえ裁判所は「月1回」というワードに親しみがあります。

金銭を分割で支払う場合、原則として「毎月払い」です。

裁判期日も原則として「月1回」ペースです。

和解調書に書きやすい、裁判所に親しみのあるペースが「月1回」なのです。

恐らく、それくらい薄弱な根拠しかありません。

でも、それが養育費や財産分与と同じく定着したルールになってしまっています。

 

このルールが真に問題なのは、根拠が薄弱なことではありません。

「少なすぎる」から問題なのです。

 

親と子の交流が、月1回で良い訳がありません。

親と子の絆は、まず共に過ごす時間によって形成されます。

月1回会うだけ、というのが原則的な親子関係である訳がありません。

 

根拠が薄弱で、かつ内容にも明らかに問題がある。

そんなルールは一刻も早く変えられるべきです。

「経済的DV」とは何なのか?

2019.10.08更新

「経済的DV」の主張に触れることも最近増えました。

はじめにお断りしておくと、「精神的DV」と比較して、「経済的DV」の主張に対してはある程度「ごもっとも」と思うことが多いです。

その金額しか家計に入れなかったら厳しいですね、という件が多いのです。

もちろん、単に家計に入れる金額が少ないことと、DVとは異なります。

でも、そう言いたい気持ちも分からないではない。

 

その一方で、ただ単に自分の理想よりも収入が少ないことをもって「経済的DV」と主張するような例もあります。

収入が少ないこと自体は夫婦共通の課題であって、どちらかが悪いわけではない。

それを「経済的DV」と呼ぶのは違います。

 

真の問題は「精神的DV]と同じです。

家計に足りないと知りながら、少額しか渡さない。

経済的な主導権を握っていることを利用して、相手を支配する。

そういう意味での「経済的DV]は確かに実在します。

 

でも、「経済的DV]という言葉が安易に使われ過ぎることによって、かえって救済の手が届きにくくなる。

そういう弊害にも目を向ける必要があると考えています。

「精神的DV」とは何なのか?

2019.10.01更新

この記事は、「精神的DV」なんて存在しない、と主張したい訳ではありません。

最初に断っておきます。

肉体的な暴力はないかもしれない。

でも、それと同じくらい酷い、言葉や扱いによる暴力を振るわれている。

そういう件は、当然存在します。

 

でも、一方で、「精神的DV」という言葉の定義は不明確です。

裁判所も、明確な定義はしてくれません。

それもあって、「精神的DV」なる言葉があまりに軽く使われ過ぎている。

濫用されている、と言ってもよいと思っています。

 

離婚する妻の何割かは精神的DVを受けていた、というような主張をする人がいます。

でも、この主張はかなり疑わしい。

そう考える理由は、日々、精神的DVを理由とした離婚の申立書を頻繁に見るからです。

 

なぜ、離婚の理由として「精神的DV」がよく出てくるのか。

それは、裁判所の申立書式を見ていただければ分かります。

2ページ目の最後に「申立ての動機」として当てはまるものに丸をつける欄があります。

ここで挙げられている候補のうち、定義が曖昧なので何とでも言えるのは、「1.性格の不一致」か「8.精神的に虐待する」だと思います。

でも、離婚したい当事者なら性格が一致しないなんて当然です。

そこで、「8」にも丸をつける。

 

「8」に丸をつけるだけで、「精神的DV]を理由とした離婚の申立ての出来上がりです。

全部とは言いません。

でも、「精神的DV]を理由とした離婚申立ての大部分は、こんな風に簡単に作られているのだと思います。

 

なので、離婚する妻のかなりの割合は精神的DVを受けていた、という話はかなり疑わしいと言わざるを得ません。

 

以上のように気軽に「精神的DV」を主張できる状況の被害者は、「精神的DVを振るった」と主張されるもう一方の当事者だけではありません。

定義も立証も容易ではありませんが、精神的DVを振るわれている被害者の方は間違いなく存在します。

でも、有象無象の「精神的DV]の訴えのせいで、本当に被害に遭っている方が埋もれてしまう。

世間に声が届きにくくなってしまう。

そういう弊害だって当然あるはずです。

精神的DV被害者救済のためにも、安易に精神的DVを主張できるような制度・実務は改められるべきです。

 

 

 

家電製品や家具も財産分与の対象?

2019.09.23更新

離婚の際には、財産分与をすることになります。

財産分与の対象は、夫婦の共有財産です。

婚姻期間中に形成された財産は、原則的に共有財産です。

どちらの名義でも、共有財産です。

 

代表的な財産は、まず不動産です。

その他、預貯金、生命保険、車、株式などがあります。

 

では、婚姻期間中に買った家電製品や家具はどうでしょうか。

婚姻期間中に形成された財産には間違いないので、理論的には共有財産です。

当然、財産分与の対象となるはずです。

 

でも、実際には、離婚調停の場で家電製品や家具について話し合うことはまずありません。

それは、家電製品や家具は事実上「無価値」だからです。

 

価値がない=0円なので、財産分与する意味はない、ということです。

 

もちろん、高価な家具や家電製品は別です。

ですが、私はまだ財産分与の対象になるような家具や家電製品に遭遇したことはありません。

 

ただ、財産分与の対象にならないからといって、実際の離婚協議で揉めない訳ではありません。

どっちが冷蔵庫を取るかで双方譲らない、という事態は珍しくありません。

裁判所も基準を示してくれないので、弁護士としても、どちらが正しい、どちらが取るべきともなかなか言えません。

そこは当事者間で結論を出していただくしかありません。

男性のDV被害だけの特徴

2019.09.11更新

離婚相談を受けていると、配偶者からの暴力、いわゆるDVについてもよく聞くことになります。

被害者は、男性、女性は問いません。

男性側の弁護士をうたっているので、男性被害者の話を聞くことの方が多いです。

 

DVの実態に、男女の違いはあまり感じません。

しかし、一点、男女で明らかに異なる点があります。

それは、男性のDV相談の方が「切羽詰まっている」ことです。

 

男性のDV被害の方が深刻だから、ではありません。

 

女性の場合は弁護士の所にたどり着くまでに、既に別の所で相談してきている場合が多い。

友人や、公共窓口に相談した後、最後に弁護士の所にたどり着く。

 

それに対して、男性の場合は、いきなり弁護士です。

友人はもちろん、公共窓口にもどこにも話せず、最終手段として弁護士の所に来る。

そして、はじめてDVについて口を開く。

だから、「切羽詰まっている」のです。

 

何故そうなるのか。

男性と女性の性格の違いに原因を求める意見もあります。

人に相談することに抵抗のない女性に比べ、男性は抱え込みがち、という訳です。

 

そういう傾向はあるのかもしれません。

でも、もっと明解な答えがあります。

それは、女性には広く相談窓口が開かれているのに対し、男性には窓口がない、という事実です。

 

平成13年から、いわゆるDV防止法が施行されています。

当然ですが、同法では被害者は男女は問いません。

 

ところが、同法に基づき地方自治体等が設置している窓口の名前は多くの場合「女性センター」です。

これでは、男性が相談に行きようがありません。

 

DVは「女性問題」ではありません。

もっと幅広く「家族の問題」であり、「見つかりにくい犯罪」の問題です。

ところが、広く問題解決にあたるべき行政が入口で女性に限定しているのです。

 

DV=女性が被害者、という誤ったイメージの流布に、行政が加担しているのです。

 

さらに深刻なのは、DV=女性が被害者、というイメージのせいで、男性に対するDVがエスカレートしている面があるのではないか、ということです。

多くの男女のカップルで、体力的に優位なのは男性の方です。

それはDV被害にあっている男性でも変わりません。

 

でも、男性被害者はDVを受けるままになっている場合が多い。

「一回でも反撃したら、自分がDV加害者にされてしまう。」

そう言う方は多いです。

 

杞憂ではありません。

女性の方が先に手を出したのに、たった1回反撃したばかりに、DV加害者として離婚を余儀されなくされた。

そういう実例はあります。

 

DV問題に対する行政や裁判所の対応は、問題だらけです。

問題点を挙げたらきりがありません。

中でも、男女の非対称性は、一刻も早く根本的に変革される必要があります。

 

弁護士にできることには限りがあります。

切羽詰まった相談者の方が少しでも減るためにも、まず国から変わるべきです。

 

 

「共同親権」と「夫婦別姓」の根っこは同じ

2019.08.02更新

選択的夫婦別姓制度の実現を求める声は大きいです。

「共同親権」については反対の声が大きい弁護士業界ですが、「夫婦別姓」については賛成が多数という印象です。

 

私は「夫婦別姓」についてはこれまで消極的反対でした。

しかし、最近になって、積極的とまでは行きませんが、消極的賛成に転じました。

理由は、「夫婦別姓」と「共同親権」は実は根本は共通しているのではないか、と考えるようになったからです。

 

「夫婦別姓」については、保守の立場から、「家族の絆を弱める」という批判が強い、と言われています。

実は、私も大雑把に言えばその観点から反対でした。

 

都市に住む「意識の高い」人たちは別にいいんです。

夫婦別姓だろうと同姓だろうと、きちんと子に対する責任を意識し、家庭を営んでいくでしょう。

でも、世の中はそういう人たちばかりではありません。

 

「姓を同じくする家族になる」という形式が整って始めて家族に対する責任を意識する。

そういう人たちが少数派だとは、私には思えません。

そういう人たちにとって、選択的であっても夫婦別姓となれば、「夫婦なんて結婚してもしょせんは他人」という意識にお墨付きを与えることにならないでしょうか。

夫婦が他人なのは別にいいとして、問題は、姓を異にする子についても「しょせんは他人」という意識につならがらないか、という点です。

 

家族全員が姓をそろえて、初めて「自分は新しく家族を作ったんだ、だから配偶者にも子にも責任を負うんだ」と実感する。

良い悪いではなく、夫婦同姓という制度には、家族としての自覚を促す機能があります。

夫婦別姓推進派の議論には、夫婦同姓という制度が実際に持つそういった機能が失われかねないことへの視点が欠けている。

それが、夫婦別姓に消極的に反対する理由でした。

 

しかし、考えてみれば、姓を同じくして初めて子に対する責任を実感するという意識の背景にあるのは、「イエ」制度に他なりません。

家長たるもの、家の構成員には責任を持つ、というわけです。

しかし、そもそも、親と子の結びつきには「イエ」は必ずしも必要ではありません。

親たるもの子に対して責任を持つ、それで十分なはずです。

 

しかし、ここで問題になるのが「離婚後単独親権」です。

どう擁護しようが、離婚後単独親権は「イエ」制度を土台とする仕組みです。

「イエ」制度を土台とする限り、離婚後には子はどちらかの「イエ」に属することになる。

離婚の時点で、共通の「イエ」を持たない親と子の関係は切り離されてしまうのです。

 

しかし、「離婚後共同親権」ならどうでしょう。

その場合、離婚自体は親と子の関係に影響を与えません。

親と子の関係を「イエ」が媒介しないからです。

 

離婚しようがしまいが、子ができた以上、親として子に責任を持つ。

そのことが制度上明確になれば、夫婦が結婚時に「姓をそろえる」という儀式を経なくても、親としての自覚は自然に生まれるのではないでしょうか。

そうなれば、もはや夫婦同姓を強制する必然性はなくなります。

「夫婦別姓」と「共同親権」の根っこが同じというのは、そういう意味です。

 

どちらも問題は「イエ」制度であり、その具体化として戸籍制度なのです。

 

以上の次第で、私は、共同親権の実現と同時であれば、夫婦別姓も実現されるべき、という立場をとるようになりました。

 

1つだけ最後に。

夫婦別姓論者から、「選択的夫婦別姓になったって、あんたは困らないのになぜ反対するのか。」という意見をよく聞きます。

このような意見は、国という共同体の基礎となる家族という制度の重要性を理解していないのではないでしょうか。

しかも、反対論者のことを自分たちより知的に劣位であるとみなしているという点で失礼です。

もっと建設的な議論を望みます。

「単独親権違憲訴訟」を応援します

2019.07.30更新

離婚後単独親権制度は憲法に反するとして集団訴訟が提起されるとのニュースがありました。

提訴は本年10月予定とのことですが、私はこの訴訟を支持し、応援したいと思います。

 

離婚後単独親権制度は、子は「家」に所属するという制度です。

要は、「イエ制度」「家父長制」を前提としています。

 

家父長制では、子だけでなく、すべての個人が家に属し、家長の監督に服します。

しかし、少なくとも大人はどの家に所属するかを選べます。

日本国憲法では、

「婚姻は、両性の合意のみによって成立し…」

とされているからです。

この条文は、明確に、「家同士の結びつき」としての婚姻を否定する趣旨です。

大人は、個人の選択により、憲法を基にして「家」から自由になることができます。

 

ところが、子にはその選択がありません。

親同士が離婚した場合、父母どちらかの「家」に所属することを強いられます。

離婚後単独親権制度とは、子を「家」の所有物として扱う制度です。

 

これは私の独自の意見ではなく、歴史的にも、比較法的にも、大きな異論は出てこないところだと思います。

 

離婚後単独親権制度を擁護するのは、理論的には困難です。

離婚後単独親権こそが人権にかなう、という主張を私は見たことがありません。

 

それにも関わらず、なぜ離婚後単独親権制度が維持されているか。

色々な理由があると思います。

その中でも大きな理由が、「子の養育に関わること」が親個人の権利として認められていないことにあると私は思っています。

 

離婚後の子の監護養育に関する原則は、現状、「子の福祉」一点ばりです。

親の権利、という視点は一切ありません。

 

そもそも、現状の制度下で「子の福祉」が正しく尊重されているか自体、疑問はあります。

ただ、それ以前の問題として、子に対する親の権利が尊重されなくて、本当に良いのでしょうか。

 

子に対する親の権利と言ったって、何も子に対し「親に会え」と要求する権利ではありません。

国や、自治体や、学校や、元配偶者に対し、「親が子と関わることを妨害してはならない」という権利です。

現状では、国、自治体、学校、そして何より元配偶者によって、あまりにも簡単に、無造作に、親の権利は無きものとして切り捨てられています。

 

第三者によって子から切り離された親の苦しみ、悲しみは、時として命を奪いかねないほど深いです。

「夜寝れない」「仕事が手につかない」「体重が10キロ減った」…そういった苦しみの声を聴くことは決して珍しくありません。

 

だからこそ、今回の訴訟を支援したいと思います。

子に対する親の権利を、是非憲法に基礎づけられたものとして勝ち取っていただきたいからです。

そのために、弁護士として出来ることで是非協力できたらと考えています。

 

 

財産分与は必ず2分の1ずつでなければいけないのか

2019.04.18更新

アマゾン創業者ジェフ・ベゾス氏の元妻マッケンジー氏は、離婚に伴う財産分与でおよそ4兆円を得たと報じられました。

離婚が報じられた際には、ベゾス氏の財産の2分の1であるおよそ7兆円を得るのではないかと言われていました。

巨額には変わりませんが、だいぶ予想よりは少なかったことになります。

 

7兆円という予想の根拠は、元夫妻の暮らすワシントン州法では

「夫婦の共有財産は2分の1に分けなければいけない」

と明文で定められているからです。

それよりも少なくなった事情は外には伝わってきていません。

 

日本でも、財産分与は2分の1ずつという例がほとんどです。

しかし、日本の法律を見ると、ワシントン州法とは異なり、「2分の1」とは明記されていません。

 

民法768条(財産分与)によれば、

「協議上の離婚をした者の一方は、相手方に対して財産の分与を請求することができる。」

としているだけです。

裁判所に持ち込まれた場合については、

「家庭裁判所は、当事者双方がその協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮して、分与をさせるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める。」

とされています。

要は、事情に応じて分け方は変わってくるよ、ということです。

 

それがなぜ「原則2分の1」となっているのか。

その背景には、恐らく、「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という旧来の役割分担意識があります。

妻の内助の功あってこそ、夫は外で働き、金を稼いだ。

だから、離婚にあたっては半分ずつに分けるべきだ、というわけです。

 

でも、この考え方は現在でも妥当でしょうか。

夫婦の役割分担は夫婦それぞれです。

2分の1を当然の前提としなくても、もっと柔軟な解決があって良いはずです。

 

せっかく民法が、柔軟な解決を認める書き方をしているのです。

活かさない手はありません。

 

ところで、ワシントン州に限らず、アメリカ各州の法律を見ると、どこも「財産と負債を2分の1に分ける」と定めていることに気づきます。

日本では、住宅ローンを除き、借金は分与の対象にならないのが原則です。

裁判所も弁護士も、それを当然として受け入れています。

 

でも、国が変われば当然のように借金も2分の1に分けることが原則になっていたりする。

これは発見でした。

 

 

調停の場合、離婚が成立するのはいつのタイミングか

2019.04.17更新

調停になった場合、離婚が成立するのは「調停が成立した時」です。

具体的には、調停がまとまった日、つまり調停の最終日、裁判官が「これで調停成立です。」と言った時、です。

 

協議離婚の場合は、離婚が成立するのは届出をした時です。

でも、調停離婚の場合は、届出まで待つ必要はありません。

調停がまとまった時に、法的には完全に離婚成立です。

 

ただ、届出が不要という訳でありません。

法的には完全に離婚成立でも、戸籍は勝手に変更されません。

当事者の届出が必要です。

 

具体的には、調停が成立したという内容の調停調書を持って、役場に届け出ることになります。

届出をしてはじめて、戸籍に「調停成立の日に離婚が成立した」旨の記載がされることになります。

 

届出は当事者のうちどちらか片方がすれば大丈夫です。

どちらが届け出ても構いません。

ただ、一般的に、離婚に伴って姓が変わる方が届け出るのが一般的です。

 

離婚が成立しても、姓も勝手に変わりません。

こちらも役場への届出が必要です。

どのみち届出が必要なら、戸籍の変更と姓の変更を一度に済ませるのが経済的です。

姓が変わる方が届け出ることが一般的なのは、そういう理由です。

 

 

男性側に立った離婚問題の解決を

一時の迷いや尻込みで後悔しないためにも、なるべく早い段階でご相談ください。