「精神的DV」とは何なのか?
2019.10.01更新
この記事は、「精神的DV」なんて存在しない、と主張したい訳ではありません。
最初に断っておきます。
肉体的な暴力はないかもしれない。
でも、それと同じくらい酷い、言葉や扱いによる暴力を振るわれている。
そういう件は、当然存在します。
でも、一方で、「精神的DV」という言葉の定義は不明確です。
裁判所も、明確な定義はしてくれません。
それもあって、「精神的DV」なる言葉があまりに軽く使われ過ぎている。
濫用されている、と言ってもよいと思っています。
離婚する妻の何割かは精神的DVを受けていた、というような主張をする人がいます。
でも、この主張はかなり疑わしい。
そう考える理由は、日々、精神的DVを理由とした離婚の申立書を頻繁に見るからです。
なぜ、離婚の理由として「精神的DV」がよく出てくるのか。
それは、裁判所の申立書式を見ていただければ分かります。
2ページ目の最後に「申立ての動機」として当てはまるものに丸をつける欄があります。
ここで挙げられている候補のうち、定義が曖昧なので何とでも言えるのは、「1.性格の不一致」か「8.精神的に虐待する」だと思います。
でも、離婚したい当事者なら性格が一致しないなんて当然です。
そこで、「8」にも丸をつける。
「8」に丸をつけるだけで、「精神的DV]を理由とした離婚の申立ての出来上がりです。
全部とは言いません。
でも、「精神的DV]を理由とした離婚申立ての大部分は、こんな風に簡単に作られているのだと思います。
なので、離婚する妻のかなりの割合は精神的DVを受けていた、という話はかなり疑わしいと言わざるを得ません。
以上のように気軽に「精神的DV」を主張できる状況の被害者は、「精神的DVを振るった」と主張されるもう一方の当事者だけではありません。
定義も立証も容易ではありませんが、精神的DVを振るわれている被害者の方は間違いなく存在します。
でも、有象無象の「精神的DV]の訴えのせいで、本当に被害に遭っている方が埋もれてしまう。
世間に声が届きにくくなってしまう。
そういう弊害だって当然あるはずです。
精神的DV被害者救済のためにも、安易に精神的DVを主張できるような制度・実務は改められるべきです。