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弁護士の知っている「離婚」だけが「離婚」ではない

2018.12.21更新

弁護士という仕事をしていると、平均よりはだいぶ多い数の「離婚」を見ることになります。

見るだけでなく、代理人として中に入って深く関わることも多いので、つい、人よりは離婚について知っているつもりになることがあります。

 

でも、弁護士が仕事で知っている離婚は、離婚全体のごく一部に過ぎません。

しかも、相当偏りのある一部です。

簡単に言えば、こじれ、もつれ、対立している方向に偏っています。

仕事を離れた知人から相談を受けることもありますが、それだって「知り合いに弁護士がいるから相談してみよう」と思うような件なので、やっぱり偏っています。

 

世の中には、円満に離婚している方々はたくさんいます。

保育園に交互に迎えにくるし、行事には家族全員で参加するので、何年も離婚していることを知らなかった方もいました。

色々あっても復縁している方たちだってたくさんいます。

 

弁護士のところに相談に来られた方の中にだって、そういう形で、円満に離婚できる方がいるかもしれません。

正直に言ってしまえば、今のところ、仕事で扱った中にそういう依頼者の方はいません。

でも、そういう可能性はいつだって開かれている。

公正証書や調停や裁判だけが出口じゃない。

そのことはこれからも忘れないようにしたいです。

 

「DV」という行為は存在しない

2018.12.20更新

「夫からDVを受けた」

「精神的DVを受ける」

そんな相談を受けることがあります。

逆の立場で、「『DVを振るった』と訴えられた」という相談を受けることはもっと多いです。

 

そのたびに必ず言うのが、「『DV』という行為は存在しない」ということです。

DVなんて存在しない、という意味ではありません。

 

「殴られた」

「蹴られた」

「暴言を吐かれた」

そういった具体的な行為が、DVに該当する。

DVという言葉は、そういうふうに使います。

先に具体的な行為があって、それを評価するときの言葉だ、ということです。

「DVを受けた」では何も言っていないのに等しいのです。

なのに、言葉としてあまりに便利だからか、あたかも「DV」という行為が存在するかのような使われ方をされていることがよく目につきます。

 

当たり前のことに聞こえるかもしれません。

でも、「DV]という言葉の独り歩きの弊害を感じる機会は少なくありません。

そういうときは、「具体的にどういう行為ですか」と聞くようにしています。

 

妻がDVシェルターに逃げ込んだ、という相談を受けたことがあります。

DVと言われて何か思い当たる行為はありますか、と聞いたところ、全部で3回だけ、子に手を上げたことがあると言われました。

離婚調停の場で、相手方に、「DVがあったと主張しますが、具体的な行為は何ですか」と聞いたところ、事前に聞いていたのと同じ3回の行為だけが出てきました。

3回とも、どれも、とても「DV」と評価されるような行為ではありませんでした。

結果的に、離婚という結論は変わりませんでしたが、「DV]の主張は認められませんでした。

 

要は、大事なのは具体的な行為だということです。

「DV]という言葉の便利さに逃げ込むような主張に対しては、弁護士として一線を画していきたいです。

 

弁護士 小杉

 

養育費の基準を上げるより大事なこと

2018.12.19更新

離婚後に養育費を支払っている親は全体の2割しかいない、とよく言われます。

その元になっているのは、厚労省によるこんな統計です。

 

確かに、平成28年時点でも、離婚後の家庭のおよそ2割程度しか養育費を受け取っていない実態が分かります。

でも、この統計で本当に大事なのはそこでしょうか。

よく読むと、そもそも離婚時に養育費の取り決めを書面で交わしている家庭自体が4割強しかないことが分かります。

そもそも養育費の取り決めもしていないのに、養育費が払われる理由がありません。

 

養育費の回収率を上げるより前に、まず、養育費の取り決めがされる割合を上げる方が先決です。

そして、こちらはかなり確実な方法があります。

 

日本の離婚の大部分は、当事者同士で離婚届を提出するだけの、いわゆる協議離婚です。

そもそも、そんな簡単に離婚できる制度自体が決して一般的ではなく、世界的に見れば、裁判所が関与しなければ離婚できない国は珍しくありません。

 

役所が離婚届を受け付ける際に、養育費の書面での取り決めを義務化すれば、養育費の取り決めなしでの離婚を防げます。

もちろん、取り決めの内容はきちんとチェックされなければいけないので、制度の変革も、人手の増員も、予算も必要でしょう。

でも、子の福祉のために養育費支払いの確保が必要だというなら、養育費を支払わない親を悪者にする前に、やれることがあるはずです。

 

最高裁は、現行の算定表だと養育費が低すぎるとして、見直す方針だそうです。

最高裁が算定表見直し

結構なことです。

しかし、そんなことより先にやるべき制度変革はあるはずです。

そちらに手を付けずに、算定表の見直しの方から手を付けることに、正直言って違和感を覚えます。

職員に命令して算定表を見直すだけなら、大して予算も要らないし、裁判所が責任負うこともない。

そう考えても、別にうがち過ぎだとは思いません。

 

弁護士 小杉

「男は親権を取れない」は本当か

2018.12.18更新

「男は親権を取れない」とよく言われます。

私も相談者の方にそのような説明をすることもあります。

でも、本当にそうでしょうか。

 

男性側が親権を持つことを希望しても叶わないケースが多いことは事実です。

私の経験でもそうです。

しかし、男性側が親権を持てない決定的な理由が「男性だから」であるケースはほとんどない、というのが実感です。

一概には言えませんが、これまでの監護実績と、これからどのように監護していくのかという計画の具体性の方がずっと重要だと感じています。

 

裁判所には「母性優先」の原則があるというのは事実です。

しかし、この原則はいわば殿下の宝刀で、よっぽど揉めた果てに、最後の判断の頼りとして出てくる、という印象です。

ほとんどの親権争いはそれ以前の段階で決着がつきます。

10:57 2018/12/18
有り体に言ってしまえば、それまで主に子の面倒を見てきた方の親に任せるのが一番、という形で決まることがほとんどです。

 

逆に言えば、男性側であっても、それまでに監護実績を積んでいたり、ある程度成長した子が父親の監護を希望したりといった事情があれば、親権は持てます。

監護実績や子の希望よりも「母性」が優先されるというのはちょっと想像しにくいです。

 

「男は親権を持てない」というのは、諸々の事情を考慮すると、そういう結論が出やすい、ということを乱暴にまとめた、誤解を生みやすい言葉だと思います。

 

現に、最近の依頼者の方でも、お子さんに「父親と生活したい」という希望があり、その旨の陳述書を裁判所に提出した結果として、すんなりと親権を持てた例がありました。

 

そもそも、相手がよっぽど親として不適格でない限り、親権は争ったり、取り合ったりするものでありません。

でも、離婚の場面では、感情的なもつれもあって、往々にして当事者は親権を争い、取り合います。

そういった不毛な事態を避けるためには、親権とはそもそもそういう性質のものではない、ということをきちんと双方にご理解いただく必要があります。

でも、それは手間がかかる。

その手間を避けるために、ついつい濫用されるのが「男は親権を取れない」という言葉ではないか、という印象があります。

まったく間違っているというわけではありません。

でも、誤解を生みやすい言葉でもあります。

自戒を込めて。

男性の離婚問題のサイトを公開いたしました。

2018.01.12更新

よろしくお願いいたします。

サイトをリニューアルいたしました。

2017.10.22更新

よろしくお願い致します。

男性側に立った離婚問題の解決を

一時の迷いや尻込みで後悔しないためにも、なるべく早い段階でご相談ください。