「DV」という行為は存在しない
2018.12.20更新
「夫からDVを受けた」
「精神的DVを受ける」
そんな相談を受けることがあります。
逆の立場で、「『DVを振るった』と訴えられた」という相談を受けることはもっと多いです。
そのたびに必ず言うのが、「『DV』という行為は存在しない」ということです。
DVなんて存在しない、という意味ではありません。
「殴られた」
「蹴られた」
「暴言を吐かれた」
そういった具体的な行為が、DVに該当する。
DVという言葉は、そういうふうに使います。
先に具体的な行為があって、それを評価するときの言葉だ、ということです。
「DVを受けた」では何も言っていないのに等しいのです。
なのに、言葉としてあまりに便利だからか、あたかも「DV」という行為が存在するかのような使われ方をされていることがよく目につきます。
当たり前のことに聞こえるかもしれません。
でも、「DV]という言葉の独り歩きの弊害を感じる機会は少なくありません。
そういうときは、「具体的にどういう行為ですか」と聞くようにしています。
妻がDVシェルターに逃げ込んだ、という相談を受けたことがあります。
DVと言われて何か思い当たる行為はありますか、と聞いたところ、全部で3回だけ、子に手を上げたことがあると言われました。
離婚調停の場で、相手方に、「DVがあったと主張しますが、具体的な行為は何ですか」と聞いたところ、事前に聞いていたのと同じ3回の行為だけが出てきました。
3回とも、どれも、とても「DV」と評価されるような行為ではありませんでした。
結果的に、離婚という結論は変わりませんでしたが、「DV]の主張は認められませんでした。
要は、大事なのは具体的な行為だということです。
「DV]という言葉の便利さに逃げ込むような主張に対しては、弁護士として一線を画していきたいです。
弁護士 小杉