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離婚後単独親権は制度として中途半端

2021.02.28更新

現在の日本は離婚後単独親権制です。

「離婚後」とあるのは、婚姻中は共同親権だからです(民法818条3項)。

では、なぜ離婚を機に単独親権になるのでしょう。

離婚後単独親権制の最大の論理的な問題点はこの点だと私は思っています。

 

離婚後親権制度を擁護する様々な意見があります。

「共同親権では、子に関する重要事項について意思決定できない恐れがある」

「離婚の理由がDVの場合、共同親権では避難が困難になる」

「単独親権でも、共同で監護にあたることを禁止しているのではないのだから、共同監護は可能」

「子に関わることは権利ではなく義務。子が親に会いたいなら会えば良いが、強制的に面会することになるのは好ましくない」

など。

しかし、これらの意見が仮に真だとするなら、なぜ婚姻中は共同親権なのでしょうか。

 

子に関する重要事項について争いが絶えない不仲な夫婦などいくらでもいます。

ある調査によれば、婚姻中の夫婦が離婚を考える理由第1位は「子の教育方針の違い」です。

教育方針で揉めるくらいなら、はじめからどちらかの単独親権としておけばよいのではないでしょうか。

 

DVの多くは父母が婚姻中の家庭で発生します。

DV被害者皆が離婚という形で避難できる訳ではありません。

単独親権にDV被害を軽減する効用があるなら、婚姻中から単独親権の方が良いはずです。

 

関係性が良好であれば共同監護が可能ならば、婚姻中も単独親権でも問題ないはずです。

 

親と子が関わるかどうかは子の意向によって決めて良いのであれば、同居中の親が親権者でなくても問題ないはずです。

 

そもそも、下手に婚姻中に共同親権にしておいて、離婚時に単独親権に変わる制度にしているから、親権争いが発生するのです。

離婚時に無用な争いを生まないためにも、婚姻中から単独親権とすべきではないでしょうか。

要は、離婚後単独親権を擁護すればするほど、では何故婚姻中は共同親権なのか、という疑問に突き当たってしまうのです。

 

奇をてらった思考実験のつもりはありません。

ほんの数10年前まで、世界の多くの国も今日の日本と同じく離婚後単独親権制でした。

それは恐らく、婚姻中も実態として単独親権だったから、ではないでしょうか。

家族の成員全員が家長の支配に服する制度の下では、子に対する支配権=親権は最終的には家長に属します。

離婚後に単独親権となるのは、正しく家長制の論理的帰結なのです。

しかし、家長が家を支配するモデルは、言うまでもなく個人の平等・両性の平等の原則に反します。

父母が対等の個人となれば、親権者がどちらか片方に帰属する理由はなくなります。

父母が対等となった以上、婚姻中の単独親権と同じく、離婚後単独親権も維持できないのです。

 

国によって制度の違いはあれど、多くの国が単独親権から共同親権に移行していったのは、上記のような理由ではないでしょうか。

 

結局、離婚後単独親権という制度は、個人の自由と平等が重視される世界に移行していく過程における、移行期の中途半端な制度に過ぎない。

数10年の歴史はありますが、中途半端な制度であることは変わらない。

移行期の中途半端な制度を、デフォルトのものだと考えてしまうことが間違いの始まりなのではないでしょうか。

 

「子の福祉」というマジックワード

2021.02.03更新

親権・監護権が争いになっている件では、「子の福祉」という言葉がよく出てきます。

面会交流は、子の福祉に配慮して実施する。

どちらが監護するのが子の福祉に適うかで、監護者指定を判断する。

でも、そもそも「子の福祉」とは何でしょう。

どのような内容を含む語なのでしょう。

 

私自身、「子の福祉」という言葉を使うことはよくあります。

裁判所が判断基準を「子の福祉」に置くことに異論はありません。

しかし、「子の福祉」という言葉の中身が何なのか、十分に詰められているとは思えないのです。

 

「子の福祉」という言葉の意味は曖昧です。

曖昧であるのをいいことに、濫用される場面も目立ちます。

 

「子が会いたくない」と言っているのに面会交流を実施するのは、子の福祉に反する。

果たしてそうでしょうか?

親子が同居している場合、子が親のことを嫌いだと言った程度で、親は子との交流から身を引くべきでしょうか?

同居と別居で何が違うのでしょう。

親と子が交流すること自体が、子の発達に資するのではないでしょうか。

 

別居している親同士の監護環境を比べ、どちらがより子の福祉に適うかを判断する。

しかし、親の都合で監護環境を変更しておいて、子の福祉をうんぬんすること自体、おかしくないでしょうか。

 

裁判所が最終的な判断基準として「子の福祉」を持ち出すのは理解できます。

しかし、現状は、当事者間で紛争の道具として「子の福祉」という言葉が持ち出される場面が目につきます。

「子の福祉」という聞こえの良い言葉を、相手方の親としての権利を制限するために使用している。

そう評価せざるを得ない行動が目立ちます。

 

真の問題は、「子の福祉」という語の濫用を裁判所も結局追認していることです。

裁判所がまずすべきは、子の福祉という言葉の厳密な定義だと思います。

現状は、相手方を非難するためのマジックワードに過ぎません。

 

 

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