「子の福祉」というマジックワード
2021.02.03更新
親権・監護権が争いになっている件では、「子の福祉」という言葉がよく出てきます。
面会交流は、子の福祉に配慮して実施する。
どちらが監護するのが子の福祉に適うかで、監護者指定を判断する。
でも、そもそも「子の福祉」とは何でしょう。
どのような内容を含む語なのでしょう。
私自身、「子の福祉」という言葉を使うことはよくあります。
裁判所が判断基準を「子の福祉」に置くことに異論はありません。
しかし、「子の福祉」という言葉の中身が何なのか、十分に詰められているとは思えないのです。
「子の福祉」という言葉の意味は曖昧です。
曖昧であるのをいいことに、濫用される場面も目立ちます。
「子が会いたくない」と言っているのに面会交流を実施するのは、子の福祉に反する。
果たしてそうでしょうか?
親子が同居している場合、子が親のことを嫌いだと言った程度で、親は子との交流から身を引くべきでしょうか?
同居と別居で何が違うのでしょう。
親と子が交流すること自体が、子の発達に資するのではないでしょうか。
別居している親同士の監護環境を比べ、どちらがより子の福祉に適うかを判断する。
しかし、親の都合で監護環境を変更しておいて、子の福祉をうんぬんすること自体、おかしくないでしょうか。
裁判所が最終的な判断基準として「子の福祉」を持ち出すのは理解できます。
しかし、現状は、当事者間で紛争の道具として「子の福祉」という言葉が持ち出される場面が目につきます。
「子の福祉」という聞こえの良い言葉を、相手方の親としての権利を制限するために使用している。
そう評価せざるを得ない行動が目立ちます。
真の問題は、「子の福祉」という語の濫用を裁判所も結局追認していることです。
裁判所がまずすべきは、子の福祉という言葉の厳密な定義だと思います。
現状は、相手方を非難するためのマジックワードに過ぎません。