離婚相談ブログ

「面会交流」と「面接交渉」

2022.03.24更新

面会交流は以前、「面接交渉」と呼ばれていました。

平成23年に民法が改正される以前は、裁判所でも「面接交渉調停」と呼ばれていたようです。

今でも、面接交渉と呼ばれていた時代の離婚協議書や調停調書を見ることがあります。

 

「面接交渉」という言葉から、親子の交流を思い浮かべることは難しいです。

「面接」に「交渉」です。

就職活動かビジネス取引のようです。

特に「交渉」は酷い。

親と子で何を交渉しろというのでしょうか。

言葉から受ける印象と、意味するところがあまりにかけ離れています。

面接交渉という言葉が使われなくなったのは当然です。

改められるのが遅すぎたくらいです。

 

でも、現在の「面会交流」という語もやはり問題です。

面接交渉よりはマシですが、それでも適切とは思えません。

「交流」は良いとして、問題は「面会」です。

そもそも、親と子は「面会」するような関係ではないはずです。

 

親と子はただ会うだけの関係ではない。

子は親から物理的・社会的・経済的な庇護を受ける権利があるはずです。

親は子に上記の庇護を提供する権利と義務があるはずです。

親と子の人間としての情愛は、そのような内実ある関わりの中で育まれるはずです。

親と子がただ会うだけでは、そこで生まれるものは限られています。

 

裁判所自身、親と子がただ会うだけの「面会交流」が具体的にどのような意味を持つのか、定まった見解を持っているとも思えません。

親子双方に会いたい気持ちがあるなら会わせるべき。

その程度の考えしかないように思えてなりません。

だから、

「子が会いたくないと言っている(と監護親が言っている)から」

程度の理由で、面会交流の実施に及び腰になるのです。

親子関係は「会いたいから会う」という程度のものなのでしょうか。

 

「面会」という語にはさらに問題があります。

「面会」という日本語は「会うことを許可する誰か」の存在が暗に前提とされています。

現に、裁判所の調停では面会交流について

「甲は、乙と子が~面会交流を実施することを認める」

という言い方が一般的です。

「面会」は監護親が「認める」ものなのです。

会うのは非監護親と子なのに。

 

面会交流という語は、面接交渉よりはマシですが、やはり適切ではありません。

裁判所が使うので仕方なく従いますが、本来は別の語がふさわしいはずです。

英語圏で使われるparenting timeを訳した「親子の時間」などの方がはるかに良いと思います。

 

 

親権と監護権は分離できる?

2022.03.01更新

民法第819条
1.父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない。
2.裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める。

現在の法律では、未成年の子がいる離婚の場合、父母のどちらか一方を親権者と定めなければいけません。
一方で、民法766条は以下のように定めています。

「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」

この2つの条項を合わせると、親権者とは別に「子の監護をすべき者」を定めることも可能と読めます。
そこから出てくるのが、離婚後の「親権者」と「監護権者」を分ける、という解決方法です。
一方の親が親権者となり、もう一方が監護権者となる。
子の親としての権利を双方が持ち続けるという解決です。

実際、裁判所で、親権者と監護権者を分けるという解決が一定数なされた頃もあったようです。
しかし、現在はほぼそのような解決は取られていません。
調停委員からは何度か「今はそのような解決は勧めていない」旨の発言を聞きました。
理由としては、「親権者と監護権者を分けても、結局親権争いの解決にならないから」と言われています。
確かに、親権者と監護権者を分けても、その後に子の取り合いが続くのであれば何の解決にもなっていません。

でも、なぜそもそも親権争いの解決にならないのでしょうか。
私は、それは現行法が「子の監護をすべき者」を定めるという条文を置きながら、監護権を保障するための規定を何も置いていないからだと考えています。
監護権は条文だけあって、他に法的な裏付けが何もないのです。
あるのは当事者間の合意だけです。
合意のみなら、一方当事者が反故にすることも出来てしまいます。

当事者双方が合意できないなら仕方ない。
そういう考え方もあります。
しかし、766条にも書いてあるとおり、大事なのはあくまで子の利益です。
当事者同士で合意できなくても、親権者と監護権者を分けることが子の利益になる場合もあるはずです。
たとえば、双方が対等の立場で共同監護していくのが最適な場合などです。
その場合、当事者双方の権利も対等としておいたほうが、共同監護を続けやすいはずです。

重要なのは、離婚後の子の監護について具体的かつ詳細に決めること。
そして、その決定に法的効力を持たせることです。
まずは、「子の監護をすべき者」という法的文言の中身を充実させていくべきだと思います。

現行の離婚後単独親権制度を変更するには、色々と困難が伴うはずです。
時間もかかるでしょう。
それまでの間、少しでもより良い方向を目指すためのアイディアとして、「親権者と監護権者を分ける」案を捨てるのはもったいないと思います。

 

 

「お母さんとお父さん、どっちと暮らしたい?」

2022.03.01更新

「家庭裁判所は、親権者の指定又は変更の審判をする場合には(中略)子(十五歳以上のものに限る。)の陳述を聴かなければならない。」

 

家事事件手続法169条2項にはこのように定められています。

子のいる離婚では、裁判所は父母どちらかを親権者に指定しなければいけません。

子が15歳以上の場合、裁判所は親権者指定に際し、子の意見を聴取する義務があります。

裁判所は、15歳以上の子の意見をとても重視します。

よほどのことがない限り、子の意見通りの結論が出されます。

 

では、子が14歳以下の場合は意見は聴取されないのかといえば、そうではありません。

 

「家庭裁判所は、親子、親権又は未成年後見に関する家事審判その他未成年者である子(中略)がその結果により影響を受ける家事審判の手続においては、子の陳述の聴取、家庭裁判所調査官による調査その他の適切な方法により、子の意思を把握するように努め、審判をするに当たり、子の年齢及び発達の程度に応じて、その意思を考慮しなければならない。」

 

同じ法律の65条にはこのように定められています。

年齢に関わらず、裁判所には「子の意志を把握するように努め」る努力義務があるのです。

ただし、その方法は15歳以上とは異なります。

「子の陳述の聴取」だけでなく、「家庭裁判所調査官による調査その他の適切な方法」による、とされています。

家庭裁判所の調査官による調査に委ねられており、何が適切な方法かは調査官が判断します。

 

小さい子は未成熟で、自分の意見を言葉に出来るとは限りません。

立場も弱く、周囲の大人の影響も受けやすい。

判断能力も未発達です。

もっとも重要なのは、子どもには責任を負わせるべきではない、ということです。

 

だからといって、大人が勝手に決めてよいわけではない。

何が子の福祉に適うのか判断するためにも、子の意思を把握するよう努力する義務がある、ということです。

 

「お母さんとお父さん、どっちと暮らしたい?」

というようなストレートな質問は通常されません。

もっと気を使った、子の福祉に配慮した聞き方などがなされているようです。

 

しかし、子にとって大きな精神的負担であることは変わりません。

子が泣き出してしまった例などを多数知っています。

もちろん、大人の責務として子の意思の把握には務めるべきです。

一方で、このような質問が不可避であり、子にとって大きな負担になっているのは、それが極めて重大な決断に直結しているからです。

本邦では、離婚に際し、どちらか一方のみを親権者と指定しなければなりません。

間を取った結論、中庸な結論は初めから選択肢にありません。

 

子に大きな決断の負担を強いるという点でも、現行の離婚後一律単独親権制度は非常に問題です。

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