面会交流の目的は「子の福祉」だけか
2019.03.10更新
「面会交流は子の福祉のために実施するものですから」
面会交流を行うことを渋る方や、対立が深刻なのに今すぐ面会交流を求める方に対し、よくこのように答えます。
離婚しても、子にとって親は親。
両親と交流を持つことは、子の健全な発育に資する。
だから、面会交流は重要だ。
これは逆に言えば、面会交流はあくまで子のための制度だ、ということになります。
子に会いたい親のための制度ではない。
そのことを伝えるためによく口にするのが、冒頭のセリフです。
でも、本当にそうでしょうか。
面会交流は子の福祉のための制度であって、子に会いたい親のための制度ではないのでしょうか。
親は子を監護養育する義務を負っていますが、子は親に対して何ら義務は負っていません。
そういう意味では、子に「親に会ってやる」義務はない。
それは正しい。
でも、それは「子は義務を負わない」ということしか意味しません。
親に、子に会う権利がない、ということは意味しないのです。
具体的には、元配偶者を含む第三者が、親が子に会うことを妨害することは許されません。
妨害する第三者に対しては、「子に会う権利」を根拠として妨害排除が求められて良いはずです。
元配偶者が突然子を連れて家を出ていってしまった。
そういう方の相談をたくさん受ける中で痛感しているのは、「子に会えない」ということがいかに人を傷つけるか、ということです。
夜眠れない。
体重が何キロも落ちてしまった。
仕事に集中できない。
そういう方はとても多いです。
子どもと引き離されるということは、それくらい重大なことだということだと思います。
私個人の実感としてもよく理解できます。
子に会うというのはそれだけ重要なことなのですから、親にとっての権利性が認められても良いはずです。
少なくとも、第三者にその権利行使を妨害される際には、合理的な理由が求められるべきです。
ところが実際は、同居する親の胸先三寸によって会えるかどうかが決まるというのが実情です。
「面会交流は子の福祉のために実施するもの」
それ自体は異論の出ない言葉の裏に、親の子に会うことの権利性を否定する意味が潜んでいないか、気を付ける必要があります。
少なくとも、親と子が会うことを妨害している当事者が口にしてよい言葉ではないのではないかと思います。
弁護士 小杉 俊介